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加古川市の根本治療専門院
鍼灸治療院きさらぎ 院長の独り言

ホームページでは伝えきれない役立つ情報、大切なメッセージ、
臨床雑話
オリンピック観戦記3 銀メダル!
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    やりました!やってくれました!!

    男子400mリレー決勝、日本銀メダル!!!

     

    トラック競技の、しかも短距離種目で日本が銀?

    えらい事です。

    ひと昔前には考えられんことです。

     

    バトン渡しの高い技術と

    日本陸上史上最強とも評価されているという4人の走力が相俟っての結果。

    後半の走りはもう少し伸びそうで伸びなかったけれど

    ハーフのケンブリッジさんの走りは他の日本選手の走りとは

    やはりちょっと異質な強さや伸びがありますな。

     

    他の元々強い国がアンダーパスを習得してきたらやっかいだけど、

    4人はまだ若いし、2020年の東京オリンピックも楽しみですな。

     

    まったくもってお見事、天晴でした。

    おめでとうございます!!!

     

     

     

    | 雑記 | 16:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
    オリンピック観戦記2 逆転日本!
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      今大会の日本選手。どないしたん?

      活躍してますなぁ〜!!

       

      先日の卓球女子団体、

      一昨日の女子レスリングの3選手の

      逆転に次ぐ逆転劇。

       

      伊調馨選手は前人未到のオリンピック4連覇。

      吉田選手と同じ3連覇して

      なぜ彼女は国民栄誉賞の候補にならなかったのか不思議でしたが

      これで候補になってもおかしくないでしょう。

      要らん、言いそうやけど。

      とにかくお見事。おめでとうございます。

       

      そして昨日のバドミントン女子ダブルス、

      高橋・松友ペアの崖っぷち、ギリギリからの大逆転優勝。

      まっこと素晴らしい!!

      本当は戦って手に入れたかったでしょうが

      銅メダルの奥原選手も良い試合を見せてくれました。

       

      吉田沙織選手は残念でしたが仕方ありません。

      それでも世界2位なんやから凄いことです。

      負けた後、頻りに申し訳ない申し訳ないと謝っていたけれど

      謝る必要なんてどこにもない。

      柔道にも言えるけど、銀メダルや銅メダルを取った選手に

      謝らなくてはならないような心境にさせる環境は問題ですな。

       

      それから負けたこと自体よりも、その後の方が私には残念でしたな。

       

       

      私はかつて剣道をやっていました。

      現代剣道は動き自体はスポーツ化しているけれど

      武士道精神が大切にされています。

      ガッツポーズなんて恥ずかしいみっともない態度を取ったら

      「見苦しい引き上げ」として一本取り下げになります。

      勝って驕らず、負けて乱れず、

      最後まで戦った相手を敬い、侮辱せず、思いやる精神が尊ばれます。

       

      「遊び」が原点のスポーツと違って

      本来勝負がついたら敗者は傷つき或いは死んでいる武術において

      敗者の前ではしゃぎ、勝ちを誇ったり、

      負けたからといって感情のまま乱れるのは

      武人として恥ずかしいことなのです。

       

      日本の選手とはいえレスリングは西洋のものだし、

      勝っても負けても感情を爆発させるのは是とされているのでしょうが

      百歩譲って試合直後の涙は仕方ないにせよ、

      せめて表彰式では堂々と、毅然としていて欲しかったなぁ。

       

       

      さて、競歩で銅メダル!棒高跳び入賞!

      女子5000メートルで決勝進出!

      予選でアジア記録を出して決勝進出の男子リレーと

      陸上競技の選手の活躍もすばらしい!

      (陸上のLIVE中継少ないぞ〜)

       

      そして世界新記録には届かなったけれど、100mについで

      圧倒的な強さで200m優勝のボルト選手。

      100・200三連覇て。

      柔道やレスリングのような技術系の競技ならまだしも、

      純粋に速さを競う競技で12年間世界のトップでいるなんて

      バケモノですな。今大会で終わりとのことやけど

      出来ればもう少し見ていたい。

       

      そのボルト選手率いるジャマイカチームとの400mリレー決勝。

      楽しみやわ〜ン。

       

       

       

      | 雑記 | 02:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
      SMAP解散
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        SMAPが解散するという。

        テレビでも新聞でも大騒ぎしている。

         

        ど〜〜〜〜〜〜でもええわ!!!

         

        NHKがわざわざニュースで取り上げることか。

         

         

        ところでSMAPと言えば嫌いな歌がありました。

        その名は「らいおんハート」(2000年発表)

        歌詞がどうにも気持ち悪い。

         

        『君はいつも僕の薬箱さ

         どんな風にぼくを癒してくれる』

         

        「どんな風に僕を癒してくれる」ってどういう意味やねん。

        薬箱さと言い切っているなら、これこれこんな風に癒してくれるからとか

        理由を言うなら分かるけどそうでもない。

         

        「君は僕の薬箱。さぁ、どんな風に僕を癒してくれる?」という要求なら

        「いつも」はおかしいし、そもそも「?」もついてないから、

        要求ではないんやろ。

        ほな、「どんな」で始まって「癒してくれる」という断定文は

        どない理解したらええのや。まったく持って気持ち悪い歌詞や〜。

         

        続いて『笑うそばから ほら その笑顔』

         

        ふつう「そばから」を使うなら

        「泣いたそばから もう笑顔」「笑ったそばから もう涙」とか

        逆の意味の言葉が前後に来るもの。

        「笑うそばから ほら その笑顔」て、笑いっぱなしやないか!

         

        『泣いたら やっぱりね 涙するんだね』

        当たり前や!それが泣く〜言うこっちゃ!

         

        脚本家の作詞らしいけど日本語滅茶苦茶でっせ、ほんま。

         

         

        それから嫌いということでもないけど

        持てはやされるほど良い曲とは思えないのが

        「世界で一つだけの花」

         

        あの歌が1番2番かけて、だらだらだらだら言わんとしていること、

        かの童謡やったら、たった41文字、

        或いは最後の一行、わずか11文字で言い切っていて、

        他に余計なものは何もない。

         

        まさに寸鉄人を刺す。

        世界一短い詩、俳句を生み出した国の童謡ではないか。

        可愛らしいこの歌の方がずっとずっと深く身に染みる。

        勿論、それを自分の弱さ・醜さ・未熟さ・至らなさを正当化する

        陳腐な慰めの言葉にしてはいけないけれど。

         

         

        『さいた さいた
         チューリップの花が
         ならんだ ならんだ
         あか しろ きいろ
         どの花見ても きれいだな』

            作詞 近藤宮子

         

         

        TEL 0794219353

        加古川の根本治療専門院 鍼灸治療院きさらぎ 
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        | 雑記 | 20:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
        オリンピック観戦記
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          いやぁ、オリンピック、やっぱり面白おすなぁ。

          連日堪能しております。

          (柔道選手のマナー、態度の悪さはまことに見苦しく辟易しましたが)

           

          水泳・カヌーの活躍も素晴らしいし、

          7人制ラグビーの鬼ごっこのような面白さも知ることができました。

          バドミントンも個人・ダブルスともに検討していて期待しております。

           

          しかし、なんといっても体操団体の優勝、

          さらには内村選手の個人総合の優勝には痺れましたなぁ。

          あの追い詰められた展開の中での完璧な試技での大逆転。

          出来るものではありまへん。

           

          「練習では失敗しないので」

          そう彼は言っておりましたが、んなこと他の誰が言えましょう。

          皆、失敗しないように練習にするわけやけど、

          練習では失敗しないので、やなんて。

          そしてそれを難しい状況で完璧にやってのける精神力。

          見事としか言えません。

          本当におめでとうございます。

           

          精神力といえば、テニスの錦織圭選手。

          準々決勝や今朝の3位決定戦での元世界1位ナダル選手との

          ギリギリの攻防の中でのあの粘り強さ。

          そして同じく今朝の卓球女子団体。

          石川佳純選手。2セット連取されてからの大逆転。

          追い詰められても揺るがぬ強気の姿勢。

          これまたお見事!

          福原愛選手も惜しかったですね〜。

          攻めて攻めての姿勢で勝負に勝っていながら

          試合に負けた感のあるまさに惜敗でした。

          3位決定戦を楽しみに致しましょう。

           

          そしてウサイン・ボルト選手の100M3連覇。

          側弯症を抱えながらその力を12年も保っていられるなんて

          才能もさることながら努力の賜物でしょう。

          誠に天晴至極!

           

          オリンピックも早や折り返しですが

          陸上を中心に(ロシアの不参加は物足りないが)

          まだまだ楽しみな競技が目白押し。

          眠れない楽しい日々が続きそう。

          困ったもんだ。

           

           

           

          加古川の根本治療専門院 鍼灸治療院きさらぎ 
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          | 雑記 | 10:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
          治りたくない患者
          0

            「薬を断てない患者」という以前の記事内で

            「治りたくない患者」についてチラと触れたところ、

            もっと詳しく知りたい、との声があったので少し詳しく書いてみたい。

             

            『問わず語りとちゃうやんけ!』というツッコミは

            この際放っといて。

             

             

            「治りたくない患者」

            これはこのブログでも度々登場する「治す気のない患者」とは違う。

            後者は他人に治して貰いたい気持ちは満々だが、

            自ら積極的に養生に励んだり、医療指導を守り、

            セルフケアに取り組むのは嫌な患者のことだ。

            嫌な理由は至極簡単、

            「面倒なことやしんどいことは嫌」なだけのことである。

            要は楽して元気になりたいということだ。

             

             

            「治りたくない患者」は違う。

            彼ら彼女ら(以後彼ら)の中にも「治す気のない」要素はあるが、

            彼らは本質的に治りたくないのだ。

             

            そんな馬鹿なことがあるか、と思うかも知れない。

             

            もちろん、当人は本気で治りたいと思っている。

            元気になりたいと願っている。

            でなければ、治療を受けようとは思わないだろう。

            しかし、その心の一方では治りたくないのである。

             

            つまり顕在意識では症状が辛いからそこから逃れたい、

            解放されたいと思っているが、

            潜在意識下では、深層心理としては治りたくない、ということだ。

             

            出来うることなら目を逸らしておきたい何かしらの問題に

            元気になってしまったら、向き合わなくてはならない。

            病で居られたら、それに直面しなくても済む、避けていられるのだ。

             

            人間関係の問題、アイデンティティの問題、過去のトラウマ、

            他人に見せている虚勢や演技上の虚偽の自分に嫌気がさしているのに

            本来の自分を曝け出すのは恐い、などの自己不信・・・・。

            問題は様々だろう。

            いづれにせよ、きちんと向き合うのは

            恐い・辛い・しんどいことは分かっている。

            病の身で居られるなら、ずっとそこから逃げ続けていられる。

             

            顕在意識では病身で人に助けられることや

            人に迷惑をかけるのは嫌だとストレスを感じていても、

            無意識下では向き合うべき現実から逃げていられる、

            許してもらえる、優しくしてもらえるその環境を失いたくないのだ。

            失うことが恐いのである。

            或いはただただ愛情に飢えている、

            他者の愛情を試している、ということもあるかもしれない。

            治りたい表の心とは裏腹に治りたくないもう一人の私がいるのである。

             

            情緒的に不安定になる方も少なくなく、

            時には職場や家庭等で、

            「誰々から意地悪されている」

            「陰口を言われている」

            など幻聴に近い思い込みを持ったり、

            被害者意識が強くなっていく場合もある。

            病だけが唯一の逃げ場所なのだ。

             

             

             

            治療に対する身体の反応や養生への取り組み方にも

            いくつかの特徴がある。

             

            治療院に来る方の殆どは、交感神経優位の緊張状態にあり、

            眉間のしわ寄せ(力み)や歯の噛みしめ、手指の強張りなど

            不必要な力みを程度の差こそあれ、癖として持っている場合が多い。

             

            眉間に皺を寄せるように力を入れてみよう。

            丁度、孫悟空の頭に嵌められた緊箍児(きんこじ)のように

            頭が締まって硬くなるのが分かるだろう。

            軽く口を開けた状態からぐっと歯を噛みしめてみよう。

            今度は首と後頭部の境ぐらいから顎の下を巡る、

            頭の下半分が緊張し、喉が締まってくるのが分かるだろう。

             

            眉間の力み、歯の力みは頭部全体を緊張させ、

            脳の健全な血行を阻害し、呼吸を浅くさせてしまう。

             

            また人間は手を器用に使うようになって脳が発達したと

            言われるように手と脳の関係は深い。

            手指の強張りも脳の血行不良、硬膜の緊張と深く関わっている。

             

            逆に言えば、眉間の力を抜き、歯の噛みしめを緩め、

            手を優しく柔らかく丁寧に使うことを心がけるだけでも

            脳の血行不良や硬膜の緊張の改善にはたらき、

            すばらしい自己治療にすることもできるということだ。

             

             

             

            当院の鍼灸治療の目的は、骨格系の歪みを整え、

            内臓の機能的均衡を整え、脳脊髄液循環、脳の血行不良を改善して、

            その人本来の治癒力を、その時点時点で最善の状態まで導くことにある。

            治療を受け入れる準備、身体の変化を受け入れる準備が出来ている人は、

            上記のような症状も治療を重ねることでもちろん自然に改善してゆく。

             

            特に頭蓋骨と仙骨の歪みの調整時には、

            深い部分の緊張が解け、弛緩していた部分は締まって、

            身体が深い呼吸、深いリラックス状態に入っていくので

            多くの方はその心地良さにウトウトとし、眠ってしまう方も少なくない。

            中には涎を垂らしてしまう方もいる。

            ※(治療後はスッキリと目が開き、頭が冴え軽くなります。)

             

            けれど「治りたくない患者」は、

            頭蓋骨から離れた、手足などにアプローチする遠隔的な治療や

            補助的な治療の際にはリラックスしていても、

            いざ上記のような中枢の治療に入ると

            通常の患者とは明らかに違った反応をする。

             

            もちろん、身体自体は鍼という静かな働きかけを受け入れて、

            それをきっかけに無駄な緊張を解いて、

            自ら整えよう、回復しようとする反応を見せる。

            だが、彼らは知らず知らずの内にそれに抗う方向にも力を発してくる。

             

            それは硬結や単なる力み癖による筋肉の硬さとは

            明らかに質の異なる硬さとして術者の手に、身体に伝わってくる。

            緩んでゆく力とは逆方向に、眉間の力み、歯の力み、

            首の力みなどを維持しようという緊張が同時に感じられるのだ。

            まるで心身が根っこから整うことを拒むかのように。

             

            だから彼らは、たとえ治療の前日に仕事などのストレスで

            よく眠れなかったとしても、治療中先ず眠ることはない。

             

             

            養生の取り組み方においても「治す気のない患者」の場合は、

            どんな養生法であろうと取り組もうとはしないが、

            「治りたくない患者」の場合は、顕在意識では「治りたい」ので

            各種エクササイズや自宅施灸など

            行うのに時間や場所が必要な、かつセルフケアとしては

            補助的なものには割合積極的に取り組む方が多い。

             

            しかし、先ほど紹介したような

            • 眉間の力を抜く
            • 歯の噛みしめを止める
            • 手指の力を抜く、柔らかくやさしく使う

             

            或いは呼吸の練習など、

            時間も場所も限定されず、いつでもどこでもできる、

            且つ脳の緊張や血流の改善にダイレクトに関わることには

            積極的には取り組まない。

            身体を治してしまうかもしれない取り組みを

            無意識の内に避けてしまうのかも知れない。

             

             

            そのような状態でも治療を重ねてゆけば、

            内臓機能が整い、骨格が整ってゆくことで、

            次第に低下していた体力は高まり、疲れにくくなったり、

            ぐっすり眠れるようになったり、

            話す気力もなかった人がよく喋るようになったり、

            伏し目がちだった人が他人の目を見られるようになったり、

            頭蓋骨の歪みが取れて小顔(正常化)になったり、

            肌艶が明るく美しくなったり、笑顔が増えたりなど

            心身の状態は必ず改善してゆく。

             

             

            しかし、例えばうつ病は自殺等のリスクがあるため、

            治りかけが最も精神的に危うく恐いと言われているように、

            そこまででないにしても、「治りたくない患者」も

            そのように体調が良くなってくる時期にはある種の危うさがあり、

            皆同様の反応をすることが少なくない。

            突然、治療を途中で止めるのである。

             

             

            いきなりフイと連絡なく止める人もいるし、

            仕事や金銭面などの理由を挙げて止める人もいるが、

            中には治療の自分にとって良くない部分、

            例えば、

            「打って欲しいところに鍼を打ってくれない」

            「他の鍼灸院のような響かせる鍼を打ってくれない」

            「電気鍼をしてくれない」

            「長時間の治療をしてくれない」など、

            つまり治療を止めるのに都合の良い理由を

            今まで喜んで受けていた治療の中に探すようになったりもする。

             

            時には「止めるに足る理由」を頭の中で作り上げ、

            現実の記憶として認識し、信じてしまう人もいる。

            院としては不本意だが、本人に悪気はないし、

            どうすることもできない。

             

            ここまでくるとスピリチュアルな問題で

            もはや医療の範疇ではないのかも知れないが

            悔しくも力不足を痛感せざるを得ない。

             

             

            「治りたくない患者」

            彼らはきっと、自分の心の奥底に閉じ込めたその何かと

            しっかり向き合わない限り、これからもいろんな治療を受けては、

            体調が良くなってきたらまた治療を止める、

            という堂々巡りを続けるのだろう。

             

            引きこもりの期間が長いほど社会復帰が難しくなるように

            病の内側に逃げ込んでいる期間が長いほど、

            その堂々巡りから抜け出すことは難しくなる。

             

            内側から鍵をかけているのは自分なのだと

            気づかれる日が早く訪れるよう

            祈るばかりだ。

             

             

            『三五

            こころは保ちがたく かるくたちさわぎ
            意(おもい)のままに従いゆくなり
            このこころをととのうるは善し
            かくととのえられし心は たのしみをぞもたらす

             

            三六

            こころはまこと見がたく まこと細微(こまやか)にして
            思いのままにおもむくなり
            心あるひとはこのこころを護るべし
            よくまもられしこころは たのしみをぞもたらす

             

            三七

            こころは遠く去りゆき またひとりうごく
            密室(むね)にかくれて 形(すがた)なし
            かかる心を制(ととの)うる人々は
            誘惑者(まよわし)の縛(きずな)を逃れん』

                     発句経(友松圓諦訳)

             

             

             

            ※注:現在はコーチングを行っています。

            ご興味のある方はホームページをご覧の上、

            お気軽にお問い合わせください。

                           2017年

             

             

             

             

            加古川の根本治療専門院 鍼灸治療院きさらぎ http://sinq-kisaragi.net/
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            | 元気の底上げ通信(ほぼ臨床から) | 12:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
            ヒーロー
            0

              九重親方が亡くなった。

              千代の富士が逝ってしまった。

               

              去年還暦の土俵入りのニュース映像を見て

              「なんだか一気に老けたな、顔色や肌の色が悪いな・・・」と

              感じてはいたけれど。

              早すぎる。あまりにも早すぎる。

               

              私が相撲好きになったのはまさしく彼の存在だった。

              小学時代から中学、高校とまぎれもなく私のヒーローだった。

              なんだかポッカリと大きな穴が空いてしまったようで

              言葉にならない。

               

               

              小柄ながらも筋肉隆々の逞しい身体に精悍な顔つき、

              炯々とした鋭い眼光。覇気・闘志あふれる取り口。

              抜群の速さの立ち合いからの一気の寄り。

              随所に見せる相撲の上手さと天性の対応力。

              倍ほどの大きさの力士を豪快に釣り上げ、投げつける激しさ。

              驚異の粘り腰から成熟期には盤石の足腰に変わり、

              巨漢小錦の突き押しにもびくともしなかった。

               

              土俵の外では歯に衣着せぬもの言いながらユーモアを忘れず、

              人懐っこい笑顔も魅力だった。

               

              悲しい出来事にも度重なる大きな怪我にも

              見事に立ち向かい立ち上がる姿に

              幾度勇気を引き出してもらったか知れない。

               

               

              一人横綱の時期もあったけれど、

              一癖も二癖もある力のある力士が多かった時代だ。

              優勝経験のない廃業になった横綱を除いては、現在の角界のように

              「大関に見えない大関」「横綱に見えない横綱」などいなかった。

              それぞれに「こうなったら盤石」といえる型を持っていた。

              そんな時代にあって圧倒的な強さと

              人をひきつける魅力を併せ持つ千代の富士は

              横綱の中の横綱だった。

               

              名勝負は枚挙に暇なく、挙げたら切りがないが、

              1000勝を決めた花の国戦での、まるで呼び戻しのような

              ふわりと軽く美しいすくい投げが忘れられない。

               

               

              これから先も、もっともっと強い弟子を育てて、

              いつまでも凛々しい姿を見せてくれると思っていたのに。

              残念でならない。

               

              謹んで哀悼の意を表します。

               

               

               

               

               

               

              | 想い | 13:30 | comments(0) | trackbacks(0) |