「薬を断てない患者」という以前の記事内で
「治りたくない患者」についてチラと触れたところ、
もっと詳しく知りたい、との声があったので少し詳しく書いてみたい。
『問わず語りとちゃうやんけ!』というツッコミは
この際放っといて。
「治りたくない患者」
これはこのブログでも度々登場する「治す気のない患者」とは違う。
後者は他人に治して貰いたい気持ちは満々だが、
自ら積極的に養生に励んだり、医療指導を守り、
セルフケアに取り組むのは嫌な患者のことだ。
嫌な理由は至極簡単、
「面倒なことやしんどいことは嫌」なだけのことである。
要は楽して元気になりたいということだ。
「治りたくない患者」は違う。
彼ら彼女ら(以後彼ら)の中にも「治す気のない」要素はあるが、
彼らは本質的に治りたくないのだ。
そんな馬鹿なことがあるか、と思うかも知れない。
もちろん、当人は本気で治りたいと思っている。
元気になりたいと願っている。
でなければ、治療を受けようとは思わないだろう。
しかし、その心の一方では治りたくないのである。
つまり顕在意識では症状が辛いからそこから逃れたい、
解放されたいと思っているが、
潜在意識下では、深層心理としては治りたくない、ということだ。
出来うることなら目を逸らしておきたい何かしらの問題に
元気になってしまったら、向き合わなくてはならない。
病で居られたら、それに直面しなくても済む、避けていられるのだ。
人間関係の問題、アイデンティティの問題、過去のトラウマ、
他人に見せている虚勢や演技上の虚偽の自分に嫌気がさしているのに
本来の自分を曝け出すのは恐い、などの自己不信・・・・。
問題は様々だろう。
いづれにせよ、きちんと向き合うのは
恐い・辛い・しんどいことは分かっている。
病の身で居られるなら、ずっとそこから逃げ続けていられる。
顕在意識では病身で人に助けられることや
人に迷惑をかけるのは嫌だとストレスを感じていても、
無意識下では向き合うべき現実から逃げていられる、
許してもらえる、優しくしてもらえるその環境を失いたくないのだ。
失うことが恐いのである。
或いはただただ愛情に飢えている、
他者の愛情を試している、ということもあるかもしれない。
治りたい表の心とは裏腹に治りたくないもう一人の私がいるのである。
情緒的に不安定になる方も少なくなく、
時には職場や家庭等で、
「誰々から意地悪されている」
「陰口を言われている」
など幻聴に近い思い込みを持ったり、
被害者意識が強くなっていく場合もある。
病だけが唯一の逃げ場所なのだ。
治療に対する身体の反応や養生への取り組み方にも
いくつかの特徴がある。
治療院に来る方の殆どは、交感神経優位の緊張状態にあり、
眉間のしわ寄せ(力み)や歯の噛みしめ、手指の強張りなど
不必要な力みを程度の差こそあれ、癖として持っている場合が多い。
眉間に皺を寄せるように力を入れてみよう。
丁度、孫悟空の頭に嵌められた緊箍児(きんこじ)のように
頭が締まって硬くなるのが分かるだろう。
軽く口を開けた状態からぐっと歯を噛みしめてみよう。
今度は首と後頭部の境ぐらいから顎の下を巡る、
頭の下半分が緊張し、喉が締まってくるのが分かるだろう。
眉間の力み、歯の力みは頭部全体を緊張させ、
脳の健全な血行を阻害し、呼吸を浅くさせてしまう。
また人間は手を器用に使うようになって脳が発達したと
言われるように手と脳の関係は深い。
手指の強張りも脳の血行不良、硬膜の緊張と深く関わっている。
逆に言えば、眉間の力を抜き、歯の噛みしめを緩め、
手を優しく柔らかく丁寧に使うことを心がけるだけでも
脳の血行不良や硬膜の緊張の改善にはたらき、
すばらしい自己治療にすることもできるということだ。
当院の鍼灸治療の目的は、骨格系の歪みを整え、
内臓の機能的均衡を整え、脳脊髄液循環、脳の血行不良を改善して、
その人本来の治癒力を、その時点時点で最善の状態まで導くことにある。
治療を受け入れる準備、身体の変化を受け入れる準備が出来ている人は、
上記のような症状も治療を重ねることでもちろん自然に改善してゆく。
特に頭蓋骨と仙骨の歪みの調整時には、
深い部分の緊張が解け、弛緩していた部分は締まって、
身体が深い呼吸、深いリラックス状態に入っていくので
多くの方はその心地良さにウトウトとし、眠ってしまう方も少なくない。
中には涎を垂らしてしまう方もいる。
※(治療後はスッキリと目が開き、頭が冴え軽くなります。)
けれど「治りたくない患者」は、
頭蓋骨から離れた、手足などにアプローチする遠隔的な治療や
補助的な治療の際にはリラックスしていても、
いざ上記のような中枢の治療に入ると
通常の患者とは明らかに違った反応をする。
もちろん、身体自体は鍼という静かな働きかけを受け入れて、
それをきっかけに無駄な緊張を解いて、
自ら整えよう、回復しようとする反応を見せる。
だが、彼らは知らず知らずの内にそれに抗う方向にも力を発してくる。
それは硬結や単なる力み癖による筋肉の硬さとは
明らかに質の異なる硬さとして術者の手に、身体に伝わってくる。
緩んでゆく力とは逆方向に、眉間の力み、歯の力み、
首の力みなどを維持しようという緊張が同時に感じられるのだ。
まるで心身が根っこから整うことを拒むかのように。
だから彼らは、たとえ治療の前日に仕事などのストレスで
よく眠れなかったとしても、治療中先ず眠ることはない。
養生の取り組み方においても「治す気のない患者」の場合は、
どんな養生法であろうと取り組もうとはしないが、
「治りたくない患者」の場合は、顕在意識では「治りたい」ので
各種エクササイズや自宅施灸など
行うのに時間や場所が必要な、かつセルフケアとしては
補助的なものには割合積極的に取り組む方が多い。
しかし、先ほど紹介したような
- 眉間の力を抜く
- 歯の噛みしめを止める
- 手指の力を抜く、柔らかくやさしく使う
或いは呼吸の練習など、
時間も場所も限定されず、いつでもどこでもできる、
且つ脳の緊張や血流の改善にダイレクトに関わることには
積極的には取り組まない。
身体を治してしまうかもしれない取り組みを
無意識の内に避けてしまうのかも知れない。
そのような状態でも治療を重ねてゆけば、
内臓機能が整い、骨格が整ってゆくことで、
次第に低下していた体力は高まり、疲れにくくなったり、
ぐっすり眠れるようになったり、
話す気力もなかった人がよく喋るようになったり、
伏し目がちだった人が他人の目を見られるようになったり、
頭蓋骨の歪みが取れて小顔(正常化)になったり、
肌艶が明るく美しくなったり、笑顔が増えたりなど
心身の状態は必ず改善してゆく。
しかし、例えばうつ病は自殺等のリスクがあるため、
治りかけが最も精神的に危うく恐いと言われているように、
そこまででないにしても、「治りたくない患者」も
そのように体調が良くなってくる時期にはある種の危うさがあり、
皆同様の反応をすることが少なくない。
突然、治療を途中で止めるのである。
いきなりフイと連絡なく止める人もいるし、
仕事や金銭面などの理由を挙げて止める人もいるが、
中には治療の自分にとって良くない部分、
例えば、
「打って欲しいところに鍼を打ってくれない」
「他の鍼灸院のような響かせる鍼を打ってくれない」
「電気鍼をしてくれない」
「長時間の治療をしてくれない」など、
つまり治療を止めるのに都合の良い理由を
今まで喜んで受けていた治療の中に探すようになったりもする。
時には「止めるに足る理由」を頭の中で作り上げ、
現実の記憶として認識し、信じてしまう人もいる。
院としては不本意だが、本人に悪気はないし、
どうすることもできない。
ここまでくるとスピリチュアルな問題で
もはや医療の範疇ではないのかも知れないが
悔しくも力不足を痛感せざるを得ない。
「治りたくない患者」
彼らはきっと、自分の心の奥底に閉じ込めたその何かと
しっかり向き合わない限り、これからもいろんな治療を受けては、
体調が良くなってきたらまた治療を止める、
という堂々巡りを続けるのだろう。
引きこもりの期間が長いほど社会復帰が難しくなるように
病の内側に逃げ込んでいる期間が長いほど、
その堂々巡りから抜け出すことは難しくなる。
内側から鍵をかけているのは自分なのだと
気づかれる日が早く訪れるよう
祈るばかりだ。
『三五
こころは保ちがたく かるくたちさわぎ
意(おもい)のままに従いゆくなり
このこころをととのうるは善し
かくととのえられし心は たのしみをぞもたらす
三六
こころはまこと見がたく まこと細微(こまやか)にして
思いのままにおもむくなり
心あるひとはこのこころを護るべし
よくまもられしこころは たのしみをぞもたらす
三七
こころは遠く去りゆき またひとりうごく
密室(むね)にかくれて 形(すがた)なし
かかる心を制(ととの)うる人々は
誘惑者(まよわし)の縛(きずな)を逃れん』
発句経(友松圓諦訳)
※注:現在はコーチングを行っています。
ご興味のある方はホームページをご覧の上、
お気軽にお問い合わせください。
2017年
加古川の根本治療専門院 鍼灸治療院きさらぎ http://sinq-kisaragi.net/
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